2013年12月20日金曜日

長崎と広島はローマとベルリンに落とす予定の原爆を落とされたこと


ツェツィーリエンホフ宮殿     

ポツダム会談が開かれた場所でありシニアーには「ポツダム宣言受託」で忘れる ことのできないところ。

米・英・ソ連のトップ会議、チャーチルは政権を離脱、ルーズベルトは死亡。アトリーとトルーマンはスターリンのなすがままと後世の文書は伝える。

会議の終りにトルーマンはスターリンにささやく「原爆開発に成功した、日本に落とす」。

スターリンは欣喜雀躍、本国に帰り1週間後日ソ不可侵条約を破りソ 連軍は満州の荒野になだれ込む。
シベリアに拉致された人60万人、内死亡6万人。内 地に着のみ着たまま帰った人、途中で亡くなった人、子供を亡くした・預けた人は数知れず、その話を聞くにつけ心が痛む。

関係者はあまり話したがらない、日本人の美徳はよいとしても事実は事実、後世に引き継いでしっかり教育をしてもらいたいものだ。

それなのに「あー許すまじ原爆を・・」と歌う、それなら「あー許すまじポツダム宣言・・」「あー許すまじ満州侵略・シベリア拉致・・」ではないか。

アメリカは真珠湾攻略を不意打ちという。外務省の職員が飲み会で暗号電報を解読するのが遅れたため「リメンバー・パールハーバー」と何年も責め言葉になった。

日本もアメリカも相互の暗号電報は解読していた、ただその活用が彼我の差を分けた、情報の握りつぶしは今も日本のお家芸、政治家・役人は日本の将来をもっと真剣に考えて貰いたいと切におもう。

国民学校のときにうたった「ルーズベルトのベルトが切れてチャーチル散る散る・・」 ポツダムに想うことは山ほどある。

「ベルリン地区」
http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/berlin.html


















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