2013年11月12日火曜日

私も三つのころ

https://pbs.twimg.com/media/A-dhjOyCMAEO_g8.jpg:large

画像はhttps://twitter.com/mirutone/status/281300759616827392/photo/1より。

こんな格好をして祖母に連れられて神社にお参りに行きました。

長い石段を登ったのを今でも覚えています。







そういえば日韓併合時代、神社参拝強要って本当にあったのかな。


調べてみました。

「神社参拝強制はあったか―中山元文科相へのNHK回答にウソの可能性 (付:チャンネル桜の最新関連動画)」
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-762.html

> 案の定、河野氏は回答を拒否
>
> さて「人びとに参拝を強制したことを示す資料は、『台湾時報』(台湾総督府内台湾時報発行所)があります」と回答にある。

> 私 はこれまで台湾で多くの日本語世代に対して「神社参拝の強制はあったか」と聞いてきたが、答えは「ない」「知らない」と言うものばかり。学校行事で戦勝祈 願の参拝はあったそうだが、あれは内地でも見られたもので、当時の日本ではごくごく普通の「習慣」で、一般感覚では「強制」ではなかろう。
>
> ところが『台湾時報』は「強制があった」ことを示していると言う。そこでその真偽を知るべく、五月二十二日、視聴者コールセンターに電話を掛け、質問した。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-762.html



「大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」神社参拝の強制」
「1935年総督府は学生に神社参拝を強制し、キリスト教の立場から神社参拝を拒否する学校の生徒、父兄に対して弾圧をおこなった。」

> 日本人は海外に住みつくと、どこでも神社を創建してきました。 …本書では朝鮮の場合を問題としているので、それに限ってとりあげると、日本が朝鮮に神社を建てたのは、今から320年も前のことです。

> 対馬領主の宗義真が、釜山に「 竜頭山神社 」を創建しました。日韓通商船の安全祈願のために、金刀比羅宮を奉斎したのが始まりです… これが海外拓殖神社の先達であり、当時の居留邦人の信仰の拠り所となりました。

> ( 中略 )

> 日韓併合とともに日本と朝鮮の交流は一層活発となり、朝鮮に移り住む日本人の数も急増した。移住した日本人たちは、心のより所として神社( 祠 )を建立したため、大正時代の末にはほぼ朝鮮の主要地域全てに神社が建立されることになった。

> 朝鮮神職会発行『 朝鮮内神社一覧 』( 昭和12年7月現在 )によると、12年当時、朝鮮全土に創立された神社は56社、神祠は301、神職75人となっている… 

> 興味深いのは氏子戸数で、昭和12年現在で、「 京城神社 」は日本人が約2万7千戸であるのに対して朝鮮人が約10万2千戸、「 大邱神社 」も日本人が約6千戸で、朝鮮人は1万6千戸となっている。

> 大正五年創建の「 仁川神社 」でも日本の氏子3千戸に対して、朝鮮人氏子は1万4千戸である。朝鮮の氏子戸数の方がほぼ倍から4倍も多くなっている。

> 昭和12年と言えば、「 内鮮一体 」の掛け声のもと神社参拝が奨励されていた南次郎総督の時代であり、且つ日本人と朝鮮人の人口比なども斟酌( しんしゃく )してこのデータを見る必要があるだろうが、当時、朝鮮の各神社が圧倒的に朝鮮の氏子によって支えられていたことは事実である。

> しかし、残念ながら戦後の混乱の中で、これら神社はすべて破壊されてしまった。( 江崎道朗 )

『日本人だけではなく朝鮮人にも信仰されていた朝鮮半島の神社』
『「 日韓共鳴ニ千年史 」 名越二荒之助 平成14年 明成社』
http://deepredpigment.myartsonline.com/dnchon/dnchon6_011.html





















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1 件のコメント:

  1. 画像はhttps://twitter.com/mirutone/status/281300759616827392/photo/1より。

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